地下室でひっそり星占ブログ

ひっそりと西洋占星術を研究しながら関係ないこともぼやきます。時々数秘術。

アンチはどこにでもいる

星野源さんがメジャーになって久しい頃、それまで「アゲ」一辺倒だったニュースの中に初めてdis記事を発見した。星野源でもこんな記事書かれるのかとびっくりした。書かれてる内容は、スタッフに対して横柄だとか、注文がうるさいとか、星野源を良く知らずに見たら確実に印象が変わりそうなものだった。

 

心折られたあの日、性格悪いと思いつつも、自分を慰めるために『石○ゆかり アンチ』で検索したら、一言どころか専用スレッドが見つかった。わかっていたのに驚いた。随分辛辣な言葉で貶している人もいたが、そう思うなら君が女史の代わりに毎日の星模様をつぶやいてくれないか。

 

日課Twitterトロール中、とある人に噛みついているリプライを発見した。揚げ足取りみたいなやつ。

噛みつかれた側は仕事でもTwitterを使っている人なので、毎日お役立ち記事とか自分の記事の感想RTとか日常のこととか、フォローしているとタイムラインでも目にする機会が多く、たまにこうやって言葉の端っこを手に取られていることがある。これが有名税か。

いちゃもんつけられた記事は、引用RTでとても丁寧に対処していた。

 

 

アンチ表明はマウント行為。『お前そんなのが好きなの? だっせー! 俺なら絶対そんなの好きにならねえ、むしろ大っ嫌いなんだけど。マジでセンス疑うわー』っていう。んなもん大っぴらに言わなきゃいいのに、その人が世に認められてるのが許せなくて、自分だけの感覚を謳うとともに同志を募る。

 

そういうのやってる人ほど、自分の活動は大したことない。これは断言できる。自分の行動の宣言より、人を下げる言葉の方がでかいからだ。自分が世に認められないから、それ以外の方法で有名になっている人が憎くてしょうがない。だからアンチの言葉なんて聞き流すに限るんだけど、厄介なのがそれでも言葉の殺傷力はゼロにはならないということ。

流れ弾だろうがまきびしだろうが、つまようじ投げられたようなものだとしても痛いものは痛い。そして、10の褒め言葉より1の攻撃の方が重くて痛い。褒め言葉なんて口の中に入れたキャラメルみたいにあっという間に溶けてなくなってしまうのに、たった一回の”口撃”はのどに刺さった小骨みたいにずっとずっと痛い。そして、美味しいご飯を何度も丸のみしてようやくその痛さを忘れることができる。痛さを忘れるために消費されるホカホカごはん。よく噛めばもっと甘くなった、だいじなだいじなお米粒。

 

楊枝だって目に入れば失明するし、本気で踏めば出血もする。火のないところに煙は立たぬというけど、火元を持ち込んで煙を出す奴もいる。だけど、犬のフンくらいなものだと思えばやり過ごす術も見えてくるかもしれない。踏んだのは運が悪いけど、そもそも悪いのはそれを放置した飼い主なのだ。